スキップしてメイン コンテンツに移動

マララさんのノーベル賞受賞は正しかったのか?

昨日、マララさんのノーベル平和賞の受賞が決定しました。
このニュースは瞬く間に世界中に広がり、多くの人に喜びと感動、勇気を与えたでしょう。



僕もそのひとりです。
僕も彼女と同じように、この世界をより良くしたいという想いのために活動してきました。

そんな僕にとって、マララさんは本当に尊敬できる存在です。
イスラム過激派に殺されかけながらも、女性が教育を受けることの重要性を世界中に訴え続けました。
彼女の行動力と勇気は、間違いなくノーベル平和賞の受賞に値するものだと僕は思います。

しかし、僕はマララさんにノーベル賞を与えるべきではなかったと考えています。

それはなぜか。

彼女が17歳だからです。

彼女の人生はまだまだ始まったばかりです。
これからさらに多くの経験をし、人生が様々な方向に変化していくでしょう。

変化していくはずでした。

しかし、彼女はノーベル平和賞を受賞したことで、そのレッテルが一生彼女にはついてきます。
そして彼女はこれからもずっと女性の教育を受ける権利を訴え続けなければいけなくなりました。

もちろん彼女にはそれだけの強い決意があると思います。

しかし彼女は17歳ですよ?
これから人と出会い、恋をして、勉強して、多くの体験をしていくうちにやりたいことが変わってくるかもしれません。

僕は今18歳です。
将来は発展途上国の貧困問題に携わりたいという目標(具体的なことはまた別の機会に)がありますが、それは今後変わっていくかもしれません。

これから自分の知らなかった世界を知ることになるからです。大学での学び、新たな友人との出会い、バイト。まだまだ僕には知らないことだらけです。

それはマララさんにとっても同じはず。

しかし、ノーベル平和賞の受賞によって彼女の人生の自由は少なからず奪われてしまいました。

これが僕が昨日のニュースを見て思ったことです。

と、ここまでだいぶ否定的な意見を書いてきましたが、マララさんの受賞によって「女性の人権」に改めてスポットが当てられることになりました。

マララさんが取り組んでいる、女性の教育を受ける権利の向上というのは、私たちが地球市民として早急に解決しなければいけない問題のひとつです。
マララさんの有名な言葉


日本やその他の先進国では女性も男性と同じように教育を受けることが出来ます。
それでもまだまだ解決しなければならない男女の壁はありますが、主に発展途上国といわれる国々の現状に比べると、とても恵まれた環境で女性は生活しているように思えます。

僕はネパールという国で一年間過ごし、現地でも最貧困地域といわれる地域で年間を通して人々の生活を観察してきました。
そこでは、女の子は学校には通わせてもらえず、毎日朝から晩まで畑作業や家事、水汲みなどの重労働に従事させられていました。

女性は男性に劣る、という考えが根にあるから、私たちには想像も出来ないような男女差別が毎日起こっています。

先進国で生まれ育った僕には驚きの連続でした。

どうして女性は教育を受けてはいけないのか。
どうして女性だけが畑仕事などの重労働を強いられているのか。
どうして1回2時間かかる水汲みには女性しか行かないのか。

テレビやネットを通じても知ることが出来ないほど悲惨な男女差別を目の当たりにしました。


発展途上国で起こっている男女差別と、先進国で起こっている男女差別。
両者には大きな違いがあるかもしれませんが、女性の人権が軽視されているということには変わりありません。

女性は男性に全く劣っていません。


様々な意見があると思いますが、僕はこう強く信じて疑いません。



マララさんのノーベル賞受賞に対して、僕は賛成は出来ませんが、私たちが女性の人権について考える良いきっかけになったと思います。
マララさんにはぜひ、今後もこの活動を続けて、ひとりでも多くの女性に教育を受ける機会を与えてほしいです。

そして何よりも重要なのが、私たち一人ひとりが女性の人権や教育に関心を持ち続け、継続的にACTIONを起こしていくことです。


この世界をより良くするためには、女性の力が必要です。
マララさんの受賞をきっかけに、皆さんも何かACTIONを起こしてみませんか??



P.S. 今日は「国際ガールズデー」です!















コメント

このブログの人気の投稿

上智大学に合格した課題レポート【原本】

皆さんこんばんは。 今日は、上智大学総合グローバル学部を受験する際、課題として出されていたレポートを公開します。 僕は高校時代に様々な活動をしてきたので、 「よしきは一体何がしたいんだ?」 と聞かれることが多々ありました。このレポートを読めば、 僕が今生涯をかけてやりたい と思っていることを皆さんにご理解していただけると思います。 上智大学の公募推薦を受験する際、どの学部でも課題レポートを提出しなければなりません。(その後、大学で行われる試験と面接の総合点で合否が決まります) 学部ごとによってテーマは違いますが、(上智大を受験した友人によると)課題レポートの配点がとても大きく、合否を分けると言っても過言ではないほど重要だそうです。 (すぐにレポートを読みたい方は、すこし下までスキップしてください。) 僕もこのレポートの作成には大変苦戦しました。夏休みの期間から何度も何度も書き直し、やっとのことで書き終えたレポート。僕が中学3年時に全国作文コンクールで2位を受賞した作文以上にがんばりました。当然、ものすごく自信もありました。 何とか書き終えて、締め切り当日に完成したレポートを提出用に印刷したのですが、、、 誤字がないかどうか心配だったので念のため父親に見せてみると、 「これダメでしょ、落ちたね。」 そう一言言い放ち、父親は出かけて行きました。 信じられますか。締め切り当日ですよ。 ・・・書き直しましたよ僕は。3時間で。ダメ出しされた父に最後にチェックしてもらいたかったのですが、出かけていましたし、時間もないので、結局自分で何度も何度も見直し、走って郵便局に提出しにいきました。 火事場の馬鹿力とはこのことですね。(ですから父は僕が絶対不合格だと最後まで確信していました。) 結果的に上智大学に合格出来ました。 僕は何かと詰めが甘い男なので(今回の件もそう)、これはダメかもなと若干落胆していたのですが、結果的に合格できて嬉しさの反面、驚いてもいます。 そのレポートを一生封印するのはもったいないので、ここで公開させてください。 このレポートを読めば僕が将来やりたいことを皆さんに理解してもらえると思います。 これを公開するのは僕のただの自己満足ですが、少しでも受験生のお役に立てるとうれしいです。 ーーーーーーーー

【8年ぶりのブログ再開!】原点回帰・ネパールより

高校時代、3年以上続けていたブログ。8年ぶりの投稿となります。 タイのバンコクに住んでいた中3の夏休み、ひょんなキッカケから単身ネパールに移住し、高1の終わりまで約1年半ネパールで暮らしていた私は、我ながら珍しい経験をさせてもらっていることを自負し、日々の日常や、当時の私の思考をブログにて発信していた。 その後日本に帰国し、ネパールでのユニークな経験をアピールし上智大学に合格。受験が終わったと同時になぜかブログの更新をパッタリと辞めてしまった。 激動の社会人6年間 大学入学してからはあっという間に時間が過ぎてしまい、大学3年時に大学の単位を取り終えていた私は、4年生になったと同時にAI系スタートアップ企業の創業メンバーとしてジョインした後、5年半ほど在籍した。自社オフィスがない状態から、社員数が100名規模になるまでの急成長に貢献させていただいた。 その後、新規事業の海外展開を行うことを目的に、急成長中のEV系スタートアップに転職。しかし、諸々の事情で海外展開に携われる時期が不透明となり、入社後たった8ヶ月であえなく退職となってしまった。 そして、今、ここだ。(@ネパール・カトマンズ!) カフェに座っていたら、急に自分が昔自分がブログをやっていたことを思い出し、 再開してみることに。 なぜネパールにいるかという話はさておき... これからもきっと、今の私には想像も出来ない経験がたくさん待ち受けていると思うとワクワクする。 誰にも読んでもらえなくとも、人生の記録として、気が向いたらブログを更新してみようかなと思っている。 それでは、また更新することがあれば、その時までさようなら!

旅の醍醐味 from Phuket

スタートアップでの6年間の猛烈に刺激的な日々を経て、職なし状態になり早1ヶ月ほどが経っておりますが、ネパール2週間旅を経て、私は今タイのプーケットに10日間ほど滞在しております。 思い返せば、私は幼少期から(主には家族旅行で)20カ国以上を訪れてきており、母の母国であるドイツとインドネシアのバリ島には10回以上、タイとネパールにはそれぞれ1年間住んでいた経験があり、おかげさまで海外でも全く不自由なく生活できるような耐性を自然に身につけることが出来たと思っています。 そんな中、大学時代ぶりの長期海外旅行をしているわけですが、今回の旅で改めて感じた「旅の醍醐味」について、書き記しておこうと思います。 結論からから申しますと、私にとっての旅の醍醐味とは、「見ず知らずの土地で生活を始め、自分が少しずつその環境の一部となり、馴染んでいく感覚」を得ること。 (もっと上手い良い回しがある気がしますが...) 旅の最大の楽しみとして、旅先の世界遺産や観光地を散策するのは間違いなく素晴らしい経験になりますし、私もそのような観光は大好きなのですが、私が最も幸福感を感じるのはその対極的な過ごし方とも言えるかもしれません。 私は今回2週間近く、プーケットのSoi Ta-ledという山奥の全長1kmにも満たない小さな通りで生活しています。ここにはプーケットなのにビーチもありませんし、有名な観光地も、ナイトクラブなどの歓楽街もありません。ビーチに行くにはバイクで20分以上かかり、プーケットで有名なパトンビーチには40分以上かかるような僻地です。夜は21時を過ぎればあたりは真っ暗。 Soi Ta-led通り 夜はあたりは真っ暗だが、レストランなどは比較的遅い時間までやっています ただこの場所には、多くの世界最高レベルのムエタイジムや、CrossFitなどのフィットネス施設が揃っているため、世界中からアスリートやフィットネス好きの人々が集まり、少なくとも数週間以上を過ごしている人が多いです。とは言え、観光客の数もかなり少なく、とても緩やかに時間が流れるローカル感溢れる街です。 CrossFitに特化したジム・Unit27 世界中のトップアスリートレベルの人々が集まっています ムエタイジム・Appolo。日本では見かけない巨大なジムが点在しているエリアです。 全くアスリートとは言えない私がなぜこの場